
那須与一が祈った岩から、古戦場を見下ろす展望台へ。高松・屋島で、源平合戦の舞台をたどる旅
屋島は香川県高松市の、海に面した台地です。寿永4年(1185)2月、その東の麓で源平合戦の屋島の戦いがありました。那須与一が扇の的を射る前に祈った岩と、馬を止めた岩が、いまも麓に残ります。合戦の舞台を麓でたどり、台地の上から古戦場を見下ろす旅です。
基本
所在地 高松・屋島は香川県にあります。

旅の輪郭
舞台は屋島の東の麓と、台地の上の二つです。麓の牟礼町や庵治町には、祈り岩・駒立岩・洲崎寺など、扇の的にまつわる史跡が点在します。台地の上には南嶺の屋島寺と、檀ノ浦を見渡す展望台の談古嶺、古代の山城・屋嶋城の跡があります。この記事では、移動の手段と所要時間は材料が無いため書いていません。出かける前に確かめてください。
扇の的と、屋島の戦い
祈ってから、矢を放った──祈り岩と駒立岩
屋島の戦いで、源義経は弓の名手・那須与一に「あの扇を射落とせ」と命じました。与一はこの岩の上で「南無八幡大菩薩」と祈りを捧げたと伝わります。それが祈り岩です。高松市の案内でも、与一宗高が扇の的を射ようとしてこの岩に向かい、神明の加護を祈ったといわれる岩として紹介されています。
祈ったあと、与一が馬を止めて扇の的を射たといわれるのが駒立岩です。与一宗高は下野国の住人で、資隆の第11子。義経が大勢の中から選び出して扇の的を射させ、見事に射たと、高松市の史跡の案内にあります。
祈った岩と、射た岩。二つを続けて訪ねると考えると、扇の的の場面が「祈り」と「一矢」の二つに分かれて見えてきます。
合戦の跡が残る東の麓──檀ノ浦
屋島の戦いの古戦場は、屋島の東の麓です。檀ノ浦のほか、安徳天皇社、佐藤嗣信の碑、菊王丸の墓などが残ります。牟礼町や庵治町には、平氏が船団を構えた場所や、駒立岩・洲崎寺などの史跡が点在しています。祈り岩と駒立岩は、こうした史跡のひとつとして訪ねられます。
麓で合戦の舞台を歩いたら、次は台地の上へ。同じ檀ノ浦を、今度は上から見下ろします。
武士たちが刀を洗った池──血の池(瑠璃宝の池)
血の池は、瑠璃宝の池と呼ばれる池です。弘法大師が屋島寺の伽藍を南嶺に移す際、お経を書き、宝珠とともに納めて池にしたという伝説が残ります。竜神が宝珠を奪いに来るという言い伝えもあります。
源平合戦のとき、檀ノ浦で戦った武士たちがこの池で血刀を洗ったため、「血の池」と呼ばれるようになりました。寺の伝説と合戦の話が、ひとつの池の二つの名前に重なっています。
古戦場を偲んで名づけた展望台──談古嶺
談古嶺は屋島の三大展望台のひとつで、源平の古戦場・檀ノ浦や小豆島、五剣山などを見渡せます。名前は明治30年(1897)、村雲日栄尼が屋島に登った際、源氏の武士や平家の公達を偲んで付けたものです。麓で歩いた檀ノ浦を、古戦場を偲んで名づけられた場所から見下ろすと考えると、合戦の舞台の広がりがつかめます。
いま訪ねる場所:台地の上に重なる、寺と社と古代の城
屋根のような台地──屋島
屋島は「メサ」と呼ばれる地形です。水平な硬い岩の層におおわれ、まわりの一部を急な崖に囲まれたテーブル状の高地で、大きな屋根のように見えることから屋島と呼ばれています。一番高いところは約300メートル。山登りやハイキング、野鳥や植物の観察もできる台地です。
鑑真が開き、弘法大師が移した寺──屋島寺
屋島寺の始まりは天平勝宝6年(754)。唐の僧・鑑真和上が屋島の北嶺に普賢堂を建て、持参した普賢菩薩像と経典を納めたのが創建です。弘仁6年(815)には弘法大師が嵯峨天皇の勅願を受けて訪れ、北嶺の伽藍をいまの南嶺に移しました。このとき十一面千手観音像を彫り、本尊として安置しています。
血の池の伝説で、弘法大師がお経と宝珠を納めたのも、この南嶺への移転のときです。寺の歴史を知ってから池に寄ると考えると、二つの場所が同じ出来事でつながります。
『日本書紀』に名が残る山城──屋嶋城跡
屋島は、源平合戦よりずっと古い城でもあります。屋嶋城は、中大兄皇子が国防のために築かせた城で、『日本書紀』天智天皇6年(667)11月の条にその名が記されています。大和朝廷が唐と新羅の侵攻に備え、対馬・九州から瀬戸内海沿岸にかけて築いた朝鮮式の山城のひとつです。
メサの地形を最大限に生かした城で、城壁のうち人工的に築かれたのは約1割と考えられています。発掘では城門が見つかり、朝鮮半島の築城技術である懸門や甕城が用いられていることが分かりました。平成28年3月19日からは、その城門が一般に公開されています。
讃岐の東照宮──屋島神社
屋島神社は、徳川家康を祀る神廟です。1804年、第八代の高松藩主・松平頼儀が社殿の造営に着手し、1815年に完成させました。讃岐東照宮とも呼ばれています。古代の山城、鑑真と弘法大師の寺、源平の古戦場に、江戸の東照宮。屋島には、時代の違う物語が一つの台地に重なっています。
屋島の寄り道:鉄板で焼く牡蠣
屋島の観光協会は、とれたての牡蠣を鉄板で焼いて食べられる牡蠣小屋を紹介しています。由来の物語がある味ではありませんが、海に面した台地をめぐった日の寄り道として、旅程に加えられます。営業の時期や場所は、観光協会の案内で確かめてください。
過ごし方:麓の古戦場から、台地の上へ
午前は東の麓から。祈り岩と駒立岩で扇の的の場面をたどり、洲崎寺や安徳天皇社、佐藤嗣信の碑、菊王丸の墓など、合戦の跡を訪ねます。
午後は台地の上へ。南嶺の屋島寺に参り、血の池(瑠璃宝の池)に寄ります。屋嶋城跡の城門で古代の山城を見てから、最後に談古嶺で、午前に歩いた檀ノ浦を見下ろします。麓を先に、上を後にすると考えると、展望台で見る景色の中に、午前の史跡の位置が重なります。
移動の手段と所要時間、各所の拝観時間は、この記事の材料にはありません。出かける前に、観光協会や高松市の案内で確かめてください。
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この旅の続きを、どこに泊まる?
屋島の史跡をめぐる前後は、高松の市街に泊まると起点にしやすくなります。鉄道で動くなら、JR高松駅やことでんの駅に近い宿が組みやすくなります。
旅支度と出典(営業時間・料金・アクセス・注意)
営業時間・料金・アクセス
金額・時間は確認日時点のものです。出かける前に出典先でご確認ください。
屋島
| 概要 | 「メサ」と呼ばれる、水平な硬岩層におおわれ、周囲の一部を急崖で囲まれたテーブル状の高地で、大きな屋根のように見えるので屋島と呼ばれています。一番高いところは約300メートル、南北に約5キロ、東西に約2キロあり、山登りやハイキング、野鳥や植物などの観察ができます。 2026-09-14確認[2] |
|---|---|
| 見どころ | 牟礼町や庵治町には平氏が船団を構えた場所や那須与一の扇の的の舞台となった駒立岩・洲崎寺などの史跡が点在する 2026-09-28確認[3] |
与一が祈った岩と、馬を止めた岩。武士が刀を洗った池と、古戦場を偲んで名づけられた展望台。屋島では、一つの合戦の場面が、麓と台地の上に分かれて残っています。
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情報について
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注
- 写真:屋嶋の仙人(Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0)・利用条件
- 観光協会 yashima-navi.jp(2026-09-14確認)
- 自治体 city.takamatsu.kagawa.jp(2026-09-28確認)
- 写真:663highland(Wikimedia Commons・CC BY 2.5)・利用条件
- 写真:Junichi(Wikimedia Commons・CC BY-SA 3.0)・利用条件
- 写真:Naokijp(Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0)・利用条件
- 写真:Miya.m(Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0)・利用条件
- 写真:Arnaud Malon(Wikimedia Commons・CC BY 2.0)・利用条件




