大井川川越遺跡歴史・由来
江戸時代、大井川は東海道の難所の一つだった。橋がなく流れが急な川は、川越人足の肩や連台に乗って渡るしかなく、雨で増水ともなれば川留めになり、最高で28日間川留めが続いた記録が残る。旅人が川を渡るための「川札」を買った川会所をはじめ、川越人足が待機していた番宿、川札を換金した札場などの街並みなどが復元されている(国指定史跡)。
ゆかり:川札・川会所・番宿・札場 [2]
島田は、東海道大井川の川越し制度と島田宿、帯まつり、島田茶の土地。この土地の物語と、営業時間・料金・アクセス、この秋の催し、宿とお取り寄せを、出かける前の確認に使えるかたちでまとめています。
情報には確認日を添えています。営業時間や料金は出かける前に出典先でご確認ください。
所在地 島田は静岡県にあります。

江戸時代、大井川は東海道の難所の一つだった。橋がなく流れが急な川は、川越人足の肩や連台に乗って渡るしかなく、雨で増水ともなれば川留めになり、最高で28日間川留めが続いた記録が残る。旅人が川を渡るための「川札」を買った川会所をはじめ、川越人足が待機していた番宿、川札を換金した札場などの街並みなどが復元されている(国指定史跡)。
ゆかり:川札・川会所・番宿・札場 [2]
浄瑠璃「朝顔日記」では恋人を追って放浪する盲目の女性が、川留めにより捜し求めていた相手とすれ違ってしまう。悲観し死を決意するが助けられ、奇跡的に視力が回復。その時初めて見た松として伝えられる「目あきの松」は、後継が今も川風に揺れている。
ゆかり:目あきの松・朝顔日記 [2]
大井川鎮護や安産の神として信仰されている大井神社の祭りで、1695年(元禄8年)に神事祭式が定まり、初めて神輿が渡御されてから令和7年で111回を数える。現在では一般に「帯まつり」の名で知られ、島田宿に嫁いできた女性が安産祈願を大井神社にお参りしたあと、宿場内に帯を披露していたものが、いつしかお嫁さんの代わりに大奴が金爛緞子の丸帯を太刀に掛けて練り歩くようになったことに由来する。
ゆかり:帯まつり・大奴・大井神社 [3]
城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名が付いたと言われている。天正元年、武田勝頼が家臣の馬場(美濃守)信春に命じて築城した。天正3年に徳川家康によって攻め落とされ、牧野城として使用されたが、廃城時期はわかっていない。
ゆかり:諏訪原城・牧野城・諏訪大明神 [4]
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