
桶狭間のあと、ふたりの再起。岡崎で、家康の生まれた城から八丁味噌の蔵へ
愛知県の岡崎は、天文11年(1542)に徳川家康が生まれた城の町です。桶狭間の戦いのあと、ここへ逃れて再起したと伝わるのは家康だけではありません。武士をやめて味噌造りを学んだ今川の家臣が、のちに八丁味噌の蔵を開きました。城、菩提寺、そして城の西の味噌蔵を、ふたりの「その後」をたどりながら歩く旅です。
基本
所在地 岡崎は愛知県にあります。

旅の輪郭
起点は名鉄の東岡崎駅。岡崎城のある岡崎城公園へは、名鉄バスでも歩いても向かえると岡崎市が案内しています。本編は、家康の生まれた岡崎城、松平家・徳川将軍家の菩提寺である大樹寺、そして城から西の八丁町(旧・八丁村)にある二軒の八丁味噌の蔵。大樹寺へは東岡崎駅から名鉄バスで「大樹寺」へ。浄瑠璃姫の伝説が残る成就院は「もう一つの物語」に分けました。
桶狭間のあとの、ふたりの再起
家康が生まれた城──岡崎城
岡崎城は、享徳元年(1452)から康正元年(1455)頃に西郷頼嗣(琱頼)が現在の本丸の位置に築いた城です。その後、松平氏(のちの徳川家)が城主となり、天文11年(1542)、ここで家康が生まれました。明治6年(1873)の廃城令で天守などの建物は取り壊され、いまの天守は昭和34年(1959)に復元されたものです。城跡は昭和37年(1962)に市の史跡に指定され、平成28年(2016)の追加指定で98,908平方メートルになったと、岡崎市の案内にあります。
天守を見上げるときは、明治に一度失われ、昭和に建て直された建物だと知っておくと、変わらずに残ったのは本丸という場所そのものだと見えてきます。
自害を思いとどまった寺──大樹寺
大樹寺は、文明7年(1475)に松平家4代の親忠が勢誉愚底上人を開山として建てた、松平家・徳川将軍家の菩提寺です。桶狭間の戦いで敗れてこの寺へ逃げ帰った家康が自害を試みたとき、住職から「厭離穢土欣求浄土」の教えを受けて思いとどまった、と岡崎市観光協会の案内は伝えています。この寺が、家康再起の場と呼ばれるゆえんです。
一族の菩提寺であると同時に、ひとりの武将が引き返した場所でもあると考えると、境内を歩く意味がひとつ増えます。宝物殿・大方丈の拝観の時間と料金は下の表で。
| 料金 | 宝物殿・大方丈拝観は大人500円、障がい者400円、小中学生300円、幼児無料 2026-09-27確認[1] |
|---|---|
| 営業時間 | 9:00~16:00(拝観受付は15:30まで) 2026-09-27確認[1] |
| 見どころ | 3代将軍家光公建立の山門を起点に岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、約380年間守られてきた岡崎を代表する景観 2026-09-27確認[1] |
城と寺を結ぶ一本の線──ビスタライン
大樹寺の山門は、3代将軍家光が建てたものです。この山門を起点に、岡崎城と大樹寺を結ぶ直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、約380年間守られてきた岡崎を代表する景観と観光協会は案内しています。山門から城の方角を確かめると、生まれた城と再起の寺が一本の線でつながっていることが分かります。
武士をやめ、寺で味噌を学んだ男──カクキュー八丁味噌
同じ桶狭間の戦いのあと、もう一人、岡崎の寺へ逃れた人がいます。カクキューの初代当主・早川新六郎勝久はもとは今川の家臣でしたが、今川が敗れたあと岡崎の寺へ逃れ、武士をやめて名を「久右衛門」と改めました。寺で味噌造りを学び、数代ののち、いまの岡崎市八丁町(旧・八丁村)へ移って、1645年に業として八丁味噌を造り始めました。当主は代々「早川久右衛門」を襲名し、いまの当主で19代目です(岡崎市観光協会の八丁味噌特集)。
敗れた戦のあと、ひとりは城の主へ、ひとりは味噌の蔵の主へ。次の章では、その蔵がなぜ「八丁」と呼ばれるのかを見ます。
いま訪ねる場所:城から西へ、八丁の蔵
城から八丁、という名前──八丁町
江戸時代になると、岡崎城から西へ八丁の距離にある岡崎市八丁町(旧・八丁村)でつくられていたことから、「八丁味噌」と呼ばれるようになったと言われています。味噌の名前は、家康が生まれた城からの距離で決まった、ということになります。城の天守を見たあとで西へ向かうと、その名前の意味を道のりで確かめられます。
| 休業日 | 休館日は年末(12月29日~12月31日)。 2026-09-14確認[2] |
|---|---|
| 営業時間 | 開館時間は9:00から17:00まで(ただし、入館は16:30まで)。 2026-09-14確認[2] |
| 料金 | 一般大人300円/一般小人150円 2026-09-27確認[3] |
木桶が並ぶ蔵──まるや八丁味噌
八丁町には、カクキューとまるやの二軒の蔵があり、どちらも江戸時代初期から伝統製法で八丁味噌を造り続けていると愛知県の案内にあります。まるやは、延元二年(1337年)にこの八丁町の地で醸造業から始まったと言われています。
仕込みに使う木桶は直径・高さともに約2メートル、重さ約700キロ。平均で約100年使われるといい、約200本ある木桶のうち確認できる最古のものは元治元年(1864年)製だと、まるやの案内にあります。蔵の中では、桶の大きさとともに、それぞれの桶がいつから使われているのかに目を向けたくなります。

八丁の蔵で買う
八丁味噌は通年販売されていて、主な販売所は「カクキュー」併設の売店、「まるや」併設の売店、岡崎SAなどと愛知県が案内しています。蔵を見たあとに、その蔵の売店で選ぶと、カクキューなら桶狭間のあとの初代の話を、まるやなら古い木桶の話を、一つずつ持ち帰れます。二軒のどちらで買うかを、蔵の由来で選ぶと考えるのも一つの方法です。
過ごし方:生まれた城から、再起の寺、そして西の蔵へ
午前は東岡崎駅から岡崎城公園へ。天守と本丸のまわりを見て、家康が生まれた城の位置を確かめます。
昼前後に名鉄バスで大樹寺へ。宝物殿と大方丈の拝観受付は拝観の終わりより早く締まるので、時刻は上の表で確かめてください。山門からは、城の方角へ続くビスタラインを確かめます。
午後は城の西、八丁町の二軒の蔵へ。木桶の並ぶ蔵を見て、併設の売店で八丁味噌を選びます。
秋の終わりに訪ねるなら、例年11月下旬から12月初旬に東公園のあしのべ池周辺でモミジのライトアップがあります。日程はこの秋の催しで確かめてください。車で行く場合の岡崎城公園の駐車場は、下の表で。
もう一つの物語:浄瑠璃姫と千本の卒塔婆
岡崎には、家康より古い時代の伝説も残っています。成就院は、浄瑠璃姫の菩提を弔うために、侍女の十五夜が冷泉という名の尼になり「冷泉寺」としたのが始まりとされます。1477年、その場所に滝沢永源が浄瑠璃姫と十五夜の供養のために成就院を建てました。義経の菩提を弔う千本の卒塔婆を立てたことから、この地を千本と呼んだとされています(岡崎市観光協会)。地名の「千本」に出会ったら、その由来としてこの話を思い出せます。
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この旅の続きを、どこに泊まる?
城と大樹寺へのバスの起点が東岡崎駅なので、東岡崎駅や岡崎城公園のまわりに泊まると、宿がそのまま翌朝の起点になります。
この秋の催し
日程は出典先で最新をご確認ください。
| 例年11月下旬から12月初旬 例年の時期 | 東公園紅葉ライトアップ 例年、11月下旬から12月初旬にかけて、あしのべ池周辺のモミジをライトアップする [4] |
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旅支度と出典(営業時間・料金・アクセス・注意)
知っておきたいこと
営業時間・料金・アクセス
金額・時間は確認日時点のものです。出かける前に出典先でご確認ください。
岡崎城
| 休業日 | 休館日は年末(12月29日~12月31日)。 2026-09-14確認[2] |
|---|---|
| 営業時間 | 開館時間は9:00から17:00まで(ただし、入館は16:30まで)。 2026-09-14確認[2] |
| 料金 | 一般大人300円/一般小人150円 2026-09-27確認[3] |
大樹寺
| 料金 | 宝物殿・大方丈拝観は大人500円、障がい者400円、小中学生300円、幼児無料 2026-09-27確認[1] |
|---|---|
| 営業時間 | 9:00~16:00(拝観受付は15:30まで) 2026-09-27確認[1] |
| 見どころ | 3代将軍家光公建立の山門を起点に岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線は歴史的眺望「ビスタライン」と呼ばれ、約380年間守られてきた岡崎を代表する景観 2026-09-27確認[1] |
桶狭間で敗れたあと、ひとりは菩提寺で思いとどまって城へ戻り、ひとりは武士をやめて寺で味噌を学びました。岡崎の城と、その西八丁の味噌蔵は、同じ戦のあとの二つの再起が、いまも見える形で残っている場所です。
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情報について
この記事の由来・営業時間・催しは、自治体・観光協会・施設の公開ページを確認して書いています(最終確認 2026-09-27)。訪問して得た感想は書いていません。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。リンク先での予約・購入により当サイトに報酬が入ることがあります。誤りはお問い合わせから。
注
- 観光協会 okazaki-kanko.jp(2026-09-27確認)
- 観光協会 okazaki-kanko.jp(2026-09-14確認)
- 観光協会 okazaki-kanko.jp(2026-09-27確認)
- 観光協会 okazaki-kanko.jp(2026-09-27確認)
- 自治体 city.okazaki.lg.jp(2026-09-14確認)
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