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福島県・会津若松

赤瓦の鶴ヶ城から、白虎隊の飯盛山へ。会津若松で、城の六百年と幕末をたどる

会津若松は福島県の城下町です。町の中心に建つ鶴ヶ城は、至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた黒川城から始まり、城の名も、屋根の瓦の色も、時代ごとに変わってきました。城の歩みを順に知ってから天守を見上げ、幕末の白虎隊が城を望んだ飯盛山へ向かい、夜は東山温泉に泊まる旅を考えてみませんか。

基本

所在地 会津若松は福島県にあります。

会津若松の湯の町、東山温泉
会津若松の湯の町、東山温泉[1]

旅の輪郭

舞台は、会津若松の市街に建つ鶴ヶ城と、白虎隊の墓とさざえ堂がある飯盛山、そして湯の町の東山温泉です。前半は、城の名が黒川城から若松城、鶴ヶ城へ変わった経緯と、保科正之に始まる松平氏の城の歴史。後半は、京都守護職から戊辰戦争へ続く幕末の会津藩と、白虎隊の物語です。施設の間の移動時間は、この記事では扱っていません。

黒川城から鶴ヶ城へ、そして幕末の会津

町の名と城の名を改めた人──若松城跡(鶴ヶ城)

会津若松市の案内によれば、若松城の前身は、至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた黒川城だといわれています。伊達政宗に続いて天正18年(1590)に入城した蒲生氏郷が、黒川城を近世城郭に改築し、七層の天守を完成させて、名を若松城と改めました。

氏郷は織田信長の寵臣で、信長の娘と結婚した人物です。天守をもつ城郭と城下町の建設がほぼ完成したとき、黒川を若松と改め、城の名を鶴ヶ城としたと鶴ヶ城の公式サイトは伝えています。40歳で亡くなった氏郷が、町の名と城の名の両方を残した、と考えると、「若松」と「鶴ヶ城」という二つの呼び名を同じ城に重ねて見ることができます。

黒い瓦から赤い瓦へ──若松城跡(鶴ヶ城)

寛永20年(1643)に保科正之が封ぜられてからは、松平氏が代々この城に住みました。戊辰戦争では、一ヶ月にも及ぶ籠城に耐えています。

城は明治7年(1874)に取り壊され、昭和40年(1965)に天守閣が、平成13年(2001)に南走長屋と干飯櫓が復元されました。平成23年(2011)には天守閣の屋根を45年ぶりに葺き替え、それまでの黒瓦を赤瓦にしています。赤瓦は、会津松平藩の藩祖・保科正之の時代から葺き替えられたことが記録されている瓦です。いま見る赤い屋根は、松平氏の城だった頃の色に戻したもの、と考えると、天守を見上げたときに瓦の色にも目が向きます。

京都守護職と新選組──会津藩

幕末、会津藩主の松平容保は幕府から京都守護職を命ぜられました。会津若松観光ビューローの案内によれば、新選組は容保の京都守護職時代にその配下となり、京都の治安にあたった組織です。

その縁は会津にも残ります。東山町の天寧寺にある近藤勇の墓は、湯治をしていた土方歳三が建てたと伝えられます。新選組の齋藤一は最後まで会津で戦い、大正4年(1915)に東京で亡くなりました。阿弥陀寺は、その齋藤一にゆかりの寺です。京都の話と思われがちな新選組の名前が、会津の寺に刻まれている、と考えると、城下を歩く目的がもう一つ増えます。

城を望んだ少年たち──飯盛山

戊辰戦争のとき、16歳から17歳の少年で編成された白虎士中二番隊は、戸の口原の合戦場から退き、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐって飯盛山にたどり着きました。鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れしていて、少年たちは「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と全員が自決しました。

ただ一人生き残った飯沼貞吉によって、白虎隊の行動は後世に伝えられています。実際には、城は一ヶ月の籠城に耐えていました。そのことを先に知ってから飯盛山の白虎隊十九士の墓を訪ねると、少年たちが目にした黒煙を、城の側の歴史と並べて考えることになります。

二重螺旋のお堂──さざえ堂

同じ飯盛山に建つさざえ堂は、寛政8年(1796)に建立された、高さ16.5メートル、六角三層のお堂です。正式な名は「円通三匝堂」。当時飯盛山にあった正宗寺の住職、郁堂が考えた建物で、かつては二重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、このお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。平成8年に国の重要文化財に指定されています。白虎隊の墓と同じ山にあるので、続けて訪ねる場所として考えると無理がありません。

二つの淵の言い伝え──東山温泉

旅の終わりに泊まる東山温泉にも、言い伝えが残ります。葦名家の重臣・大町左京盛胤の一人娘、千穂姫は、領主直盛公との結婚を拒んで羽黒川(湯川)の渕へ身を投げたと伝わります。軍茶利・妙見・観音の三尊が姫を救い上げ、姫は別当東光寺の行智上人の弟子となって「智尚尼」と名を改めました。姫が身を投げた渕は、それから「尼渕」と呼ばれるようになったといいます。

東山の伏見ヶ滝にも、娘の話が伝わります。昔、城下町に近い柳原に藤という娘がいて、不動明王が「東山の入口にある松の三又の古木」に石を投げて縁の有無を試せと告げました。石は枝に留まらず、娘は渕に身を投げたため「藤身ヶ滝」と呼ばれるようになり、いまは伏見ヶ滝と名が変わったと伝わります。その松は石上松と呼ばれていました。城を築いた葦名の名が、湯の町の言い伝えにも出てくる、と考えると、城から温泉へ移る旅が一本につながります。

次の章では、城下で訪ねたい場所を回ります。

いま訪ねる場所:城下の庭と、野口英世の青春

薬の字の由来──御薬園

御薬園は、江戸時代に薬用人参を試しに植え、広く奨励したことから、薬の字の入った名前で呼ばれるようになりました。鶴ヶ城と同じ松平氏の時代の話として、城のあとに寄る場所と考えると、名前の由来を確かめる楽しみがあります。

御薬園の池に浮かぶ中島と、茅葺きの茶屋。池の水面に映る茶屋と、まわりの松にも目を向けて
御薬園の池に浮かぶ中島と、茅葺きの茶屋。池の水面に映る茶屋と、まわりの松にも目を向けて

手術に感動した少年──会津会陽医院跡と、野口英世青春通り

野口英世は幼い頃に受けた手術に感動し、会陽医院の書生になりました。その会津会陽医院跡があり、野口英世が青春時代を過ごしたことから名付けられた通りが、野口英世青春通りです。幕末の話から少し時代を下り、明治の会津で医学を志した若者の足跡を歩く寄り道になります。

会津の味:こづゆから、ソースカツ丼まで

会津若松観光ビューローは、会津ならではの味として、こづゆ、鰊の山椒漬け、棒たら、わっぱめし、田楽、まんじゅうの天ぷら、そば、馬刺し、ソースカツ丼、カレー焼きそばを挙げています。日本酒も、会津の味として案内されています。

このうちこづゆは、家に持ち帰って作れる品が取り寄せで選べます。城と白虎隊の旅のあとは、こづゆを会津の味の入口にすると考えると、土産を一つに絞りやすくなります。

過ごし方:鶴ヶ城と飯盛山を歩き、東山温泉に泊まる1泊2日

1日目は鶴ヶ城から。天守を見上げて赤瓦を確かめ、城の名を改めた蒲生氏郷と、松平氏の城の歴史を思い出します。そのあと御薬園へ寄り、野口英世青春通りを歩きます。午後は飯盛山で白虎隊十九士の墓とさざえ堂を訪ね、夕方に東山温泉の宿へ入ります。

2日目は東山で、千穂姫の尼渕と伏見ヶ滝の言い伝えを思い出しながら、近藤勇の墓がある天寧寺を訪ねます。帰りに、こづゆや鰊の山椒漬けなど会津の味を選んで旅を終えます。ここに書いた順番は一例です。

紅葉の見頃は例年10月下旬から11月上旬で、天候により前後します。日程はこの秋の催しで確かめてください。

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この旅の続きを、どこに泊まる?

会津若松駅を起点に鶴ヶ城と飯盛山を回るなら駅の周辺に、温泉で一日を終えるなら湯のある宿に泊まります。旅程の2日目を東山で過ごすなら東山温泉の宿が合いますが、その宿はこの記事から案内できる候補がまだありません。

この秋の催し

日程は出典先で最新をご確認ください。

10月21日〜11月10日
例年の時期
紅葉の見頃
紅葉の見頃は例年10月下旬~11月上旬です。天候により前後します。
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旅支度と出典(営業時間・料金・アクセス・注意)

営業時間・料金・アクセス

金額・時間は確認日時点のものです。出かける前に出典先でご確認ください。

若松城跡(鶴ヶ城)

見どころ平成23年(2011)に天守閣の屋根を45年ぶりに葺き替え、それまでの黒瓦を赤瓦にした。
2026-10-05確認[3]

葦名の黒川城、蒲生氏郷の若松城と鶴ヶ城、保科正之に始まる松平氏の赤瓦、そして城を望んだ白虎隊。司馬遼太郎も『街道をゆく』第33巻で会津若松について語っています。城の名と瓦の色をたどったあとは、東山の湯で旅を締めくくります。

20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。飲酒運転は法律で禁止されています。

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情報について

この記事の由来・営業時間・催しは、自治体・観光協会・施設の公開ページを確認して書いています(最終確認 2026-10-07)。訪問して得た感想は書いていません。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。リンク先での予約・購入により当サイトに報酬が入ることがあります。誤りはお問い合わせから。

注

  1. 写真:Raita Futo from Tokyo, Japan(Wikimedia Commons・CC BY 2.0)・利用条件
  2. 観光協会 aizukanko.com(2026-09-14確認)
  3. 自治体 city.aizuwakamatsu.fukushima.jp(2026-10-05確認)
  4. 写真:ぽこるん(Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0)・利用条件
  5. 写真:掬茶(Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0)・利用条件
  6. 写真:wongwt(Wikimedia Commons・CC BY-SA 2.0)・利用条件
  7. 写真:くろふね(Wikimedia Commons・CC BY 3.0)・利用条件
  8. 写真:Ka23 13(Wikimedia Commons・CC BY-SA 4.0)・利用条件